《たその今昔物語:人生創造セオリー③》【ありがとうとごめんなさいは”特に”丁寧に、伝える〜ごめんなさい編〜】
ほんとまだ数回しか書いてないけど
コメントはもちろん
メッセージや直接感想いただけるのが
超嬉しいです☻♡
ありがとうございます!!
ちょっともくじとか
欲しくなってきたな・・・とか
思ったりもしたのですが
どうせ守れないので←
その時その時
思いついたことを書いていきます。
そのため、いろいろ順番が前後しますが
ご容赦ください☻
皆さまからの反応が嬉しすぎて
るんるんで別記事書いてたのですが
昨日の芸人さんのニュースが
どうしても引っかかって・・・
普段時事ネタに関しては
触れないようにしてるんだけど
今回の諸々、すごく違和感を
感じたので、せっかくなので
テーマにしちゃいます。
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ありがとうとごめんなさいは
”特に”丁寧に、伝える
〜ごめんなさい編〜
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です。
芸人さんの会見を
すでに見られた方もいると思いますが
私があの会見で一番刺さった言葉は
"子どもが謝ろうとしてるのを
止めるのは親ではないと思う
どうしたらちゃんと謝れるか
(親である会社に)
手伝って欲しかっただけ"
私にとっては
「これが全て」くらいの勢いで
すごく脳裏に焼きつきました。
悪いことしたって本人に
自覚があるのに、その上
当の本人が謝りたいって言ってるのに
それが謎の理由で許されないなんて・・・
ほんとにキツかったと思う。
悪いことしたって気づいたら
「ごめんなさい」って謝りたいって
人として当たり前の感覚じゃないの?
一時的に隠したって
自分が何をしたかなんて
自分が一番よくわかってる。
どうしたって
自分で自分を欺くことなんてできないんだから。
謝るなって命令はその人に、
一生、自分がやったことを
認めること、それに付随する感情を認めず
大切な人も、自分をも欺いて
生きていけって
言ってるようなもの。
そんな権利、自分以外の誰にあるわけ?
一生そんなの背負うくらいなら
潔く自分の”弱さ”やら
”やらかしたこと”を認めて
「ごめんなさい」って正直に
全部晒すほうが、よっぽどいいわ。
その時はめちゃくちゃ
怒られるかもしれない。
謝ったって、相手に
許してもらえないかもしれない。
信じてもらえないかもしれない。
でもそれは《相手が決めることだ》
しょうがないじゃない。
自分がやってしまったことなんだから。
それは引き受けるしかないんだよ。
そもそも謝るってさ、
勘違いしてる人すごい多いけど
誰かに許してもらうために
することではないからな。
自分自身が悔いを改めて
もう一度、まっすぐ生きるために
”させていただく”
”そういう機会を与えてもらう”ものだからな。
だからなんか
謝るとかすごい・・・とか
勇気ある!あっぱれ!!
みたいな風潮は
正直ピンとこない。
自分がやったことに対して
自分が落とし前つけるなんて
当たり前のことじゃんw
誰だってやらかすことはあるよ。
人間だもの。
やったことをやってないこととして
一生背負っていくほうが
よっぽど覚悟のいることだと思うよ。
今回みたいにバレた時どうとか
そんなしょぼい話じゃなくて
一番こわいのは、人って、
”慣れる”生き物なんです。
一番最初についた、小さな嘘が
気づかないうちに積み重なって
自分に嘘をつくこと自体に慣れちゃうと
まず、無意識下で自分を信じられなくなります。
自分を信じられない人は
そもそも人を信じられなくなるし
そういう自分が創り上げた
”基準”のもとでこの世界を生きることになるのです。
自分でも知らないうちに。
それって
ある意味すごい選択だと思わない?
とはいえどちらを生きるかは
自分の意思で決めること。
どっちがいい悪いとかではありません。
ただひとつ言えるのは
隠すことに、もはやなんの抵抗もない
自らの保身のためなら
”子供”と表現する仲間ですら平気で切る人たちが
今の日本を牛耳ってるってことが
今回の件で改めて明確になりました。
自分はどちらの世界を生きたいか?
その答えを自分の心に聞いてみてください♡
♡ 格言 ♡
誰かに謝りたいことはありますか?
その人に手紙を書いてみよう。
(*無理に出さなくてもいいよ!!)
目的は自分の弱さを認めること
自分の信頼を取り戻すことだから。
基準がさっぱりわからない。